自分をいじめたおしたその先は?

自分をいじめたおすと聞いて、プラスに感じる人と、マイナスに感じる人がいます。

プラスに感じる人がいるわけないって思う人がいると思いますが、

これはマイナスに感じている人ですね。

プラスに感じる人はプラスに感じる人、マイナスに感じる人、両方いるよなってわかってます。

一つは経験によります。

少なくとも、以下の2タイプはいる。

・自分なりに自分をいじめたおした結果、今があると思ってる人

・自分をいじめたおすという経験がない人は文章の文字通りの意味をとる人

もう一つのタイプ

「自分をいじめたおす」という言葉に100%賛成できないし、

そう思ったことないけど、通じる経験をしている人、話しを聞いたことがある人

人は、なぜ、ポジティブに感じるのか?

ネガティブに感じるのか?

これを抽象化するとわかりやすいと思います。

自分をいじめ倒す→プラスの印象 を受ける人がいる

自分をいじめ倒す→マイナスの印象 を受ける人がいる

ここまではOKですね?

そして、自分をいじめ倒した結果を考えます。

自分をいじめ倒す→プラスの結果を経験した

自分をいじめ倒す→マイナスの結果を経験した

だから

自分をいじめ倒す→プラスの印象

自分をいじめ倒す→マイナスの印象

となります

どんな経験をしたかは人によりますから、

人が受ける印象も違うわけです。

プラスの印象を与える自分をいじめ倒すという言葉は

どういう使われ方をするのか?

・一部のスポーツ系クラブの練習時

・一部の筋肉を増やすためのトレーニング時

に他人から与えられます。

例えば

スポーツ系クラブの練習で、毎日過酷な練習を行っていた。

その時、コーチや監督が「自分をいじめ倒せば、試合に勝てる!」と口癖のように言ってる。

本当に毎日つらい練習。→本当に「自分をいじめ倒している」と実感する

試合に勝つ。→プラスの結果

試合に負けたとしても、すがすがしさを感じたり、やり切った感があったり、前の自分よりできることがあることを発見したりして決して本人にとってマイナスの結果とならない場合も多いです。

関連する記憶

例えば古代、狩猟において、長時間待ったおかげで獲物を得たとか

圧制者の支配を耐え忍び、耐え忍び、耐え忍び、結果救われたとか、、、

これらの記憶もあり「自分をいじめたおす」は「つらい経験は報われる」と結びつきます。

これが記憶や遺伝子に蓄積されます。

というか、蓄積された結果が今の我々です。

そして、このパターンの蓄積に影響を受けている人は「自分をいじめたおす」にプラスの印象をもつことができる人となるでしょう。

マイナスの印象を持つ人は、逆のパターンの蓄積に影響を受けている人です。

つまり、

スポーツ系クラブの練習はただただつらいだけだった。何もいいことがなかった。

・古代、狩猟において、長時間待ったが獲物が得られず、別の人は、5分ぐらいで獲物を見つけていた。

・圧制者の支配に耐えていたが、身ぐるみはがされて殺されてしまった。

です。

知恵の実を食べたエバの子孫の私たちは

主観的な経験から知恵を得るだけでなく

客観的に経験から知恵を得られるはず

何が真実なのか?

良い結果が欲しいのは誰でも同じです。

では、良い結果を得るためには

必ずしもつらい経験=自分をいじめ倒す

ということは必要なのか?

直観的には、この答えは「NO」だとわかっていますよね?

なぜ「NO」なのか?

ヒントはマイナスの印象を持つ人の記憶の中にあります。

これです。

・古代、狩猟において、長時間待ったが獲物が得られず、

 別の人は、5分ぐらいで獲物を見つけていた。。。。

では、プラスの結果を得るために、「自分をいじめ倒す」「つらい経験をする」

ことが必要ではないなら、何が必要なのか?

ヒントです。

・スポーツ系クラブでの毎日の練習

 →毎日、練習をしていた。

・古代、狩猟で長時間待っている間何をやっていたのか?

 →待つだけでなく獲物をえるために罠を作ったり、けもの道を探したりしていた。

・圧制者に耐え忍んでいた間、何が起こっていたのか?

 →自分以外のだれかが策略を巡らしていた。隣の国が強力になっていった。

大分正解よりのヒントだと思いますので、おわかりかと思いますが

ま、いろんな要素はあります。わざとあまり絞らずに出しました。

答えは

「継続的な作業」と「継続的な知識、知恵の蓄積」です。

この

「継続的な作業」と「継続的な知識、知恵の蓄積」

というのはプラスの結果を産むために必要不可欠です。

・スポーツ系クラブ

 毎日練習していないと、試合に勝てない。試合に勝ったとしても無意味感を感じる

・古代、狩猟

 偶然、獲物がすぐ得られるということが続くかもしれないが、

 偶然に頼っているだけだとやがて獲物はとれなくなり死に絶えていたはず、

 そもそも、罠をしかけるとか、けもの道をみつけるという発想が出てくること自体、

 そういうことをしていたから

・圧制者が倒れる

 策略を巡らすための継続的な情報収集、作業が行われている

 隣の国が強力になった場合、なるための行動(作業)があったことは明白

では、「継続的な作業」、「継続的な知識、知恵の蓄積」とマイナスの印象が結びつく場合、プラスの印象が結びつく場合はどこでわかれるのか?

端的に言って、自分の好みかどうか。好きか嫌いか。

自分が嫌いなことをやっている場合、一定の成果がでるまで

「継続的な作業」と「継続的な知識、知恵の蓄積」は苦痛に感じてしまう。

自分が好きなことをやっている場合、時間がたつのも忘れて、没頭している

この場合、長時間、「継続的な作業」と「継続的な知識、知恵の蓄積」行っていても苦にならないし、行っている自覚もない。

だから「好きなことをしている」方が人は精神的に健康でいられる。

 

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